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「お中元って、なんで贈るんだっけ?」民俗学研究者に聞いた、日本のギフトの“むかし”と“いま”

INTERVIEW

「お中元って、なんで贈るんだっけ?」民俗学研究者に聞いた、日本のギフトの“むかし”と“いま”

Editer:dozo編集部

突然ですが、みなさん、夏になると耳にする「お中元」のこと、詳しく知ってますか?

昔から耳にしている、大人たちの夏の恒例イベント「お中元」。でも、ある日dōzo mag.編集部で雑談している時にハッとしました。私たち、お中元について雰囲気でしか理解してなくない……?

子供の頃は「お中元なんて自分には関係ないや」と思っていたけれど、いざ大人になってみてもやっぱりどこか遠い存在。
そこで「お中元ってそもそも何?」という素朴な疑問を解決すべく、民俗学研究者の岸澤美希さんに、お中元の歴史について聞いてみることにしました。「なぜ夏に贈るのか」「なぜ百貨店が中心になったのか」など、民俗学の視点から語られるお話は驚きと発見の連続。

しきたりやマナーの裏側に隠された、昔の人たちの素朴であたたかい想いに触れるインタビューには、今年の夏、大切な人に何かを贈りたくなるヒントが詰まっていました!

【参加メンバー】

岸澤美希さん:民俗学(民俗伝承学)研究者/編集者/ライター/ポッドキャスター。Podcastで民俗学を分かりやすく解説する「やさしい民俗学」を配信中。著書に『民俗学で考える』新谷尚紀,岸澤美希(KADOKAWA)、『やさしい民俗学』岸澤美希(淡交社)などがある。


オノマエ(写真左):dōzo.mag編集部。会社の「ご自由にどうぞ」エリアに溢れるお中元のお菓子たちを最近は毎日食べています。
サトウ(写真右):dōzo.mag編集部。カルピスの原液が突然家に現れる季節=お中元だと小学校高学年くらいで気づきました。

民俗学ってどんな学問?〜旧暦・新暦から読み解く年中行事〜


オノマエ: 岸澤さん、よろしくお願いします! 今日はお中元のことを色々教えていただくのですが……そもそも「民俗学」ってどんな学問なんですか?

岸澤さん(以下、岸澤):民俗学というのは、一言で言えば、文献に残りにくかった「普通の人たち」がどう暮らしてきたのかを研究する学問です。歴史学(文献史学)は主に文献に残された物事を史料として扱うのに対して、民俗学は文献史料も確認しながら、行事や衣食住、言葉など、暮らしの中で伝えられてきている物事を「民俗資料」として扱う広義の歴史学です。暮らしの変遷と、その中でも変わりにくく伝えられている物事の両方を分析するのが、民俗学の特徴です。

サトウ:私たちが普段、理由をよく知らずにやっている行事やマナーの古いかたちを探ることができる学問でもあるんですね。

岸澤:そうですね。そして今回のテーマであるお中元についてですが、お盆の時期に行われていた風習が元になったとされています。

オノマエ: お盆ですか? お中元は一般的に7月中旬ごろに贈るもので、お盆は8月中旬ですよね。別の行事だし、時期も違いませんか?

岸澤:それには「改暦」、つまり旧暦から新暦に変わったことが関係しています。日本では月の満ち欠けを主としながら太陽の運行も参照する太陰太陽暦(旧暦)を使ってきましたが、明治に入ってから西洋で発達した太陽暦(新暦)が慌ただしく採用されました。ざっくり言うと、この改暦によって、本来あるはずだった12月の約1ヵ月がまるごと繰り上げられるかたちになったんです。

オノマエ:ええっ! それって、かなり混乱があったんじゃないですか……?

岸澤:きっと、当時の人々は戸惑ったと思います。明治5年(1872)の11月9日に突然、「来月の12月3日を、明治6年1月1日にします。暦も変えます」と国から発表されたんですから(笑)。

サトウ: ですよね、急すぎます(笑)。

岸澤:とはいえ、建前としては新暦になっても、実際の暮らしはそう簡単に移せません。新暦で月が約1ヶ月前倒しになったので、新暦で農作業を行おうとすると実際の気候とのずれが生じてしまいます。例えば「1ヶ月早めてお米作りを始めなさい」と言われても人間が自然をコントロールすることはできませんよね。

オノマエ: 確かに、気候や自然のサイクルは変えられないですもんね。

岸澤:そこで「月遅れ」という考え方が生まれて、1ヶ月遅れで行事を行う地域が出てきたわけです。もともとお盆は旧暦7月13~15日を中心に行われていましたが、新暦では田んぼの雑草取りや水の調整などで忙しい時期です。そのため、東京の都市部以外の多くの地域では、お盆を月遅れの8月に行うようになりました。その一方で、お中元は新暦で行う地域があるため、元は同じ時期に行われていたお盆とお中元がずれてしまっているんですね(※)
※お中元を8月15日までに贈る地域もあります。

サトウ:それでお盆とお中元の時期がずれたんですね! ここで最初の話に戻っちゃうんですが、お中元がもともとはお盆の風習だった、というのはどういうことなんでしょうか?

イキミタマ(生御魂)がお中元の古いかたちだった?


岸澤:先ほど、便宜的に「お中元」と言いましたが、お中元にあたる風習は、昔は「イキミタマ(生御魂)」と呼ばれていたようです。旧暦7月15日のお盆の時期に、ご先祖様を迎えてお供えをする一方で、生きている親に対しても食べ物などを贈っていました。生きている親は、最も身近なご先祖様だからかもしれません。

サトウ:お盆の風習の中で、親にも贈り物をしていたんですね。具体的にはどんなものを贈っていたんですか?

岸澤:地域によって違いはありますが、うどんやそうめん、米粉や小麦粉、あるいは着物などを、親や地域のお世話になった人を中心に贈っていたようです。とくに、高齢の両親が揃って存命の場合は、生魚や刺鯖(二枚重ねた塩漬けのサバ)を贈るという事例も散見されます。
具体的なものとしては、昭和13年(1938)に民俗学者の瀬川清子が山口県見島で行なった調査では、嫁いだ娘が、お膳にぼた餅、お酒、イカの刺身、野菜の煮しめなどを載せて実家へ持って行き、親はそれを楽しみにしていたと報告されています。

イキミタマ(生御魂)で贈られていたもの

・サバやイカなどの魚類
・米粉や小麦粉、うどん、そうめん、おはぎ
・嫁入りした娘が持参したお膳(ぼた餅、酒、野菜の煮しめなど)

オノマエ: イカのお刺身やぼた餅のお膳ですか! 親子で一緒に囲むご馳走だったのかな。ちなみに「サバ」を贈っていたというお話がありますが、なぜ魚だったんでしょうか?

岸澤:日本では、大切なお祝いには魚がつきものだったようです。今でも、年越しや婚礼の祝い、赤ちゃんのお食い初めなどに魚を食べますよね。
このことには民俗学者の柳田國男も注目していて、死のケガレを忌避する観念を伴いながら仏教が広まって以降、葬式法事ではないお祝いには“忌中や精進の状態ではない”という意味で、なまぐさものが必要だと考えられるようになったのではないか、と述べています。なまぐさものとは、平たく言えば動物性の食品ということですが、昔の日本では主に魚(とくに海の魚が重視された)だったんですね。

オノマエ:確かに、お祝いの席ではお頭付きが出てくるイメージあります!

岸澤:それから、柳田は熨斗もお祝いのなまぐさものとして見ています。最近では、プリントの熨斗紙や、さらに省略して「のし」と書かれたポチ袋などもありますが、もともと熨斗飾りには「熨斗鮑(のしあわび)」といって、干したアワビを細く切って添えていたそうです。それが現在では金色の飾りとして残っているわけです。 

サトウ:熨斗鮑って、昔は本当にアワビを付けてたんですね!

右上の熨斗に包まれた細長い部分が「熨斗鮑(のしあわび)」。


岸澤:ここでお盆とお中元に話を戻すと、旧暦7月15日頃という時期は、当時の暮らしのサイクルとも結びついていたとも考えられます。先ほどもお話しましたが、旧暦7月15日頃は、田んぼの雑草取りや虫の駆除、水の調整といった大変な作業が一通り落ち着いて、
収穫前にひと段落できる時期だったんです。 

サトウ: つまり、「農作業の大きな山場を越えたから、みんなでご馳走を食べよう!」みたいな感覚ですか?

岸澤:そうだったのかもしれません(笑)。まさに生業(仕事)のサイクルに合致していたんです。

オノマエ:お盆にはそうやって半年間の苦労をお互いで労い合っていたのかなぁ。親に魚を贈ったのも、「これを食べて元気に過ごしてね」って気持ちもあったのかもしれないし、それってとてもあたたかいコミュニケーションに思えますね。

血縁を超えたコミュニティも大切でした


オノマエ: そのイキミタマは、実の両親以外にも贈っていたのでしょうか? お中元を親に贈る文化って、今はあまりないような気がします。

岸澤: はい。昔は、いわゆる「義理のオヤコ」という関係性がありました。自分の名前を付けてくれた名付け親や、子守りをしてくれた少し年上の人、元服(成人)の儀礼に関わる人など、地域の中に血縁を超えた親子関係があって、お互い一生の付き合いをしたと言います。

サトウ: 子どもの頃に世話をしてくれた大人や、成人のような一大イベントに関わる大人たちまで、みんな「オヤ」として敬われていたんですね。

岸澤:成長の過程でお世話になった義理のオヤには、お盆やお歳暮に贈り物をしたそうです。そうして義理のオヤにお世話になった子どもも、大人になったら今度は自分が誰かの義理のオヤになる。いわば、世代間を超えて連鎖する関係でつながっていたのですね。 

明治時代には百貨店のマーケティングがはじまった!?


オノマエ: サバや手作りの小麦粉を身近な人たちに贈っていたイキミタマが、今のような百貨店でギフトを買って贈るお中元になったのは、いつ頃からですか?

岸澤:明治以降です。それには明治以降の都市化と、百貨店の情報発信が大きく影響しています。
『お中元の文化とマーケティング』(島永嵩子著,同文舘出版)によれば、
明治39年(1906)三越が今でいう商品券のような「商品切手」をギフトとして売り出し、「お中元にどうぞ」と宣伝し始めたのが、一つの画期だったと考えられます。明治末期には「お中元は日本の善美なる習慣典例」「本邦固有の美徳」といったキャッチコピーでPRしていたようです。

このPRの中で、イキミタマではなく「お中元」という表現を使っていることにも注目したいです。中元という言葉は中国の道教に由来し、文献史料によれば15世紀頃にはすでに公家らが用いていて、江戸時代には都市部の人々にも広まりつつあったようですが、明治時代以降にいっそう普及していったようです。

サトウ:明治時代からそんなマーケティングが行われていたなんて、すごいですね(笑)!しかも商品券を推していたなんて、手作りの食料品を贈っていた頃に比べたら、急激な変化じゃないですか?

岸澤:そうですよね。近代になると、都市部を中心に呉服屋が百貨店へと発展し、よりさまざまなものが買えるようになっていったんです。明治の末から大正の三越のお中元商品を見てみると、呉服や香水、ネクタイなど、食べ物以外もたくさん並んでいます。農民が中心だった時代からサラリーマンや官僚、教師といった職業の人が増えていく中で、百貨店は「こんなものも贈れますよ」とアピールしていったんですね。

三越で買える、お中元の品揃えの広がり(一部抜粋)

明治40年:商品切手
明治44年:西洋人形、香水、ネクタイ、指輪など
大正11年:あられ、石鹸、文房具、清涼着など

※引用:『お中元の文化とマーケティング(島永嵩子著/同文舘出版)p80-1』より


サトウ:ホワイトシャツ、紅茶スプーン、西洋人形。思ったよりもハイカラなラインナップだ……。

岸澤:意外と洋風な商品も並んでいますよね(笑)。ただ、三越がPRを始めた明治末から昭和初期にかけても、先に紹介した山口県見島の事例のように、地方では依然として「お膳を実家に届ける風習」は続いていたわけです。都市部と地方で長い過渡期があったことも忘れてはいけないでしょう。

「地元の恩人」から「会社の上司」へ。お中元になって贈り先が変わっていったワケ


オノマエ:その「買って贈るお中元」が、全国的に一般の人々まで広がったのはいつ頃なんでしょうか?

岸澤:戦後の高度経済成長期(1955〜1973年頃)には少しずつ都市部以外にも広がっていったと考えられます。人口の多くがいわゆる農林水産業を中心としていた社会から、会社や工場に勤めてお給料をもらうサラリーマン的な働き方へ転換していき、農村の若者たちが都市部へ出て働くようになると、それまでの地域や血縁の関係が薄れていく代わりに、会社での人間関係が暮らしの大部分を占めるようになります。

サトウ:「義理のオヤ=お世話になった人」という感覚を持った人たちが都会に出てきたことで、その対象が「会社の上司や取引先」に置き換わっていった、みたいな感覚ですか?

岸澤:お世話になった人への義理は果たすものという感覚をもった人々が都市部で会社勤めをする中で、会社の上司や取引先にお中元を贈るようになったのでしょう。そこに百貨店のマーケティングもうまく合致したのかもしれませんね。

サトウ:当時の「義理」の感覚って今とはちょっと違うんですかね? 私たちが感じる「義理」って、どこか仕方なくやるものみたいな、ややネガティブ寄りのイメージで。バレンタインにはもう義理チョコをやめましょう、なんてムーブもあるし。

岸澤:そこが重要なポイントだと思います。義理という言葉には対人関係の中での務めといった意味がありますが、それが現在では付き合いの上で仕方なくやることといったニュアンスが大きくなっているように、私も感じます。
でも、昔の自給自足的な農山漁村の暮らしの中では助け合いが不可欠だったので、お世話になった義理を忘れずに果たすことは生きていく上でも大切だったのでしょう。例えば、現代のように農業機械や各種サービスもない時代は、田植えや収穫もお互いに助け合っていたわけで、そのつながりを失うのは避けるべきことだったはずです。

サトウ:たしかに……。お話を聞いていると、お世話になったことへの気持ちは、今の私たちよりも強そうな気がします。

岸澤:高度経済成長期以降の変化として、インフラ整備とともに暮らしが便利に快適になったこと、節約型から消費型に変わったこと、個人化と無縁社会化が進んだことなども挙げられます。わざわざ助け合わずとも、お金を払えば物が買えてサービスも受けられる社会になっていったわけです。それは便利な一方で、生きていくのにお金もかかるようになりました。
そのような流れの中で、お中元も商品を買って贈るのが一般的になっていきました。平成8年(1996)の『主婦の友』には「’96 シンプルライフ考──物のやり取りを見直そう」なんて特集が組まれています。百貨店がお中元商戦で多様なギフトを提案する一方で、「欲しくないものをもらってお返しをするのが大変」というのが、当時の主婦の本音だったのかもしれません。 

オノマエ:受け取った人が品物を選べる「カタログギフト」が始まったのもその頃ですね。

岸澤:そうだったんですね。年代は前後しますが、昭和48年(1973)の「オイルショック」を受けて企業の交際費が削減されていき、また、平成12年(2000)には公務員倫理法が施行されて、仕事の取引先へのお中元やお歳暮は下火になっていきました。
親や地域のお世話になった人へのイキミタマから、仕事の取引先へのお中元へ、さらにはそれすらも控えるようになりつつあるので、今では「なぜ夏にお中元を贈るのか」が分かりにくくなっているのでしょうね。

オノマエ:日本人が元々持っていた、親や地域の人たちに恩返しするという“ありがとうの気持ち”が薄れて、形式だけが残った結果、「お中元って、いらないんじゃない?」となってしまったのだとしたら、ちょっと寂しいことかもですね……

私たちが考える、これからのお中元のカタチ


オノマエ: 岸澤さんのお話を聞いて、お中元に対するイメージが大きく変わりました!「ビジネス上やらなきゃいけないこと」ではなく、元々は「親や地域の人々など、実際にお世話になった人への温かい恩返し」から始まっていたんですね。



サトウ: お中元が、おたがいさまの気持ちで支え合っていた時代の優しい文化だったことを知れたのは、dozo編集部としてもなんだか嬉しい発見でした。昔の人が身近なコミュニティをとても大切にしていたように、現代の私たちが「本当にお世話になっている大切な人」へ感謝を届けるきっかけとして捉え直せる気がしています。


dōzoチームが考えた、お中元でやってみたいこと

■オノマエの「これからのお中元」
一緒に働いているdōzoチームやパートナーに『半年おつかれ!』ギフトを贈ってみる


昔は田植えや草むしりが一区切りしたタイミング(旧暦7月15日)で、お互いを労ってご馳走をふるまっていたというお話が、個人的にはすごく好きでした。
現代の私たちにとっても、7月〜8月は1年の前半戦が一区切りするタイミング。格式ばったマナーとしてではなく、一緒に働いているdōzoチームのメンバーや家族に「上半期、おつかれさま!」の気持ちを込めて、なにか美味しいものを贈るところからやってみようかな~と思いました!

■ サトウの「これからのお中元」
家族みんなでごはんを食べて、昔の話やサトウ家のルーツを聞いてみる

イキミタマの「生きている親は、もっとも身近なご先祖様」というお話や、昔はお膳を持って実家に帰り親に食べてもらっていたというエピソードが心に残りました。
今年の夏は、家族みんなで集まって美味しいごはんを食べながら、昔の話や「サトウ家がどんな歴史を歩んできたのか」というルーツの話をじっくり聞いてみようと思います!


岸澤: どちらも素敵だと思います。元々日本人が持っていた、「お世話になっているあの人に、元気でいてねの気持ちを届ける」ということに立ち返ってみれば、もっと自由で心地よい習慣としてお中元を楽しんでもらえるんじゃないかなと思います。

サトウ・オノマエ:本当ですね! 岸澤さん、本日はありがとうございました!


Text by Motoki Taguchi
Photographed by Kaoru Mochida

■ 参考文献・関連資料
・島永嵩子『「お中元」の文化とマーケティング 百貨店と消費文化の関係性』同文舘出版, 2021
・瀬川清子「親のぜん−盆−」『しきたりの中の女』三彩社,1961
・「’96 シンプルライフ考──物のやり取りを見直そう」『主婦の友』第90巻,11号,1996
・柳田國男「食物と心臓」『定本柳田國男集』第十四巻,1969
・山崎祐子「中元と歳暮」『暮らしの中の民俗学 2 一年』吉川弘文館, 2003

 

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